東京地方裁判所 昭和31年(ワ)10001号 判決 1958年2月07日
原告 国
訴訟代理人 館忠彦 外二名
被告 武井虎之助
主文
被告は原告に対し、東京都千代田区霞ケ関一丁目二番地霞ケ関合同庁舎第二号館(旧称人事院ビルデイング)地階東側正面階段に南接する第二八・二九号室(建坪二十七坪八勺)を明け渡し、かつ、金十四万九千六百十一円三十二銭及び昭和三十二年四月一日以降右明渡ずみに至るまで一ケ月金六千六百八十三円六十一銭の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
本判決は仮りに執行することができる。
事実
原告は主文第一、二項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、
「一、本件室は人事院において管理する行政財産である。
二、原告(人事院事務総局管理局長)は、保険医である被告より昭和二十六年七月十六日付で、右室を健康保険診療所として使用することを許可されたい旨の申請があつたので、同月二十七日、被告に対し、
(1) すべて当局の指示に従い、公務員の福祉を増進する目的のもとに経営すること
(2) 使用場所において業務を廃止したときは設備等を原状に回復しておくこと、
(3) 使用場所内において業務のため要する施設及び維持管理等の経費は一切使用者において負担すること
(4) 場所使用許可の権利はこれを他に譲渡または転売しないこと
(5) 経営者として資格を失つたときは、この場所使用許可も当然無効となること
(6) 使用場所内における業務を廃止し転出する際は、何らの条件をも申し出ないこと
等の条件のもとに、使用期間を一箇年(但し、再度使用を願い出たときは更新を認める場合がある)として、右室を保険医としての被告が健康保険診療所として使用することを許可した。
三、その後、原告は、引き続き被告に対し右室の使用の許可を継続して来たところ、昭和二十九年九月一日、被告は東京都知事より保険医の指定を取り消され、保険医たる資格を喪失した。これは前記許可条件の(5) の、経営者としての資格を失つたときに該当する。本件室使用許可処分は、専ら公務員を対象とする健康保険給付を行わせる目的に出でたものであるからである。従つて、右室の使用許可処分は、同日限りその効力を失い、被告はこれを使用する権限を失つた。そこで、原告はその当時、被告に右室の明渡を求めたが、被告はこれに応じない。
他方、被告が右のように不法占拠をしている結果、原告は本件室を使用することができないことに基く損害、すなわち、昭和三十年度(同年四月一日から同三十一年三月三十一日まで)においては一箇月金五千八百八十円六十九銭の割合(その合計七万五百六十八円二十八銭)、昭和三十一年度(同年四月一日から同三十二年三月三十一日まで)においては一箇月金六千五百八十六円九十二銭の割合(その合計七万九千四十三円四銭)、昭和三十二年四月一日以降においては一箇月金六千六百八十三円六十一銭の割合による使用料相当の損害を受けている。
よつて本訴に及ぶ。」
と述べ、被告の答弁に対し、
「本件室が普通財産であるとなす点、本件室について賃貸借契約がなされたとする点はこれを争う。行政財産とは国において行政目的に供しまたは供すると決定したものをいうのであり、本件室は、国の事務に供する公用財産として行政財産に該当し、公用廃止の明示の意思表示がなされない限り普通財産となることはありえない。」
と答え、
被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」旨の判決を求め、請求の原因に対する答弁として、
「請求原因事実中、被告が本件室を昭和二十六年七月二十七日、原告主張の如き条件で診療所として使用する権限を取得し、原告主張の如くその使用を継続してきたこと、昭和二十九年九月一日、被告が保険医の指定を取り消されたこと、及び原告がその当時右室の明渡を求めたが被告はこれに応じなかつたことは認めるが、その余はこれを争う。
すなわち、本件室は国の行政財産ではなく普通財産に属するものである。そもそも国の施設財産が行政財産であるか普通財産であるかは、その施設の現実の使用状況を以て決定すべきであつて、本件室は昭和二十六年七月二十七日被告が原告より使用権限を与えられこれに医療施設を加設した結果、このときより国の普通財産に移行したものである。このように解することができないとしても、本件室の如くその実体が一般の診療所と何ら異るところなく(本件室は診療所として開設された以上、ここには公務員はもちろん、その家族或いは一般の患者は随時出入りしてこれを利用できた)、かかる状態が数年間継続して許されてきたのは、まさに国において本件室について少くとも黙示の公用廃止をしていたとみるべきであろう。
従つて、本件室は、原告主張の如き単なる行政処分によつてその使用を許可されたのではなく、普通財産として、原被告間に原告主張の如き条件で民法上の賃貸借契約が成立していたものである。そして、賃料は、被告に債務不履行がない限り、当時被告が負担して支出した人事院ビル地下室居住の戦災者家族数世帯の立退料約百万円との関係で、これを徴収しないという特約が存した。それ故、原告が、本件室は行政処分によつて被告に使用を認められたと主張するのは失当である。
しかも、本件室の使用関係を行政処分による許可または民法上の賃貸借いずれにみるとしても、「被告が経営者としての資格を失つたときは、本件室の使用許可も当然無効となるものであること」という使用許可の条件乃至特約における「経営者としての資格」の意味は、決して「保険医としての資格」を意味するのではなく「医師としての資格」を意味するものといわねばならない。けだし、本件室の使用は保険診療所に開設することを目的として許されたものであるにしても被告が保険医でなくなつたからといつて、保険診療所の経営ができないわけではなく、診療に従事する医師が保険医でさえあれば保険診療の実施は可能であつて、現に被告経営の診療所においては常時数名の保険医が診療に従事していたものである。従つて被告は医師としての資格を保有する以上、本件室の使用権限を失つたということはありえない。しかも、被告は、原告主張の如く保険医の資格を取り消されはしたが、その期間は僅か六カ月にすぎず、その前後を通じ、本件室を利用する公務員に対する保険診療は何らの支障もなく継続されてきたものである。」
と述べた。
証拠<省略>
理由
本件室が人事院において管理する国有財産であること、被告が本件室につき、昭和二十六年七月二十七日、原告主張の如き条件をもつて使用権限を取得し、本件室に診療所を開設し、その使用を継続していること、昭和二十九年九月一日、被告はそれ迄有していた保険医の指定を取り消されたこと、については、当事者間に争がない。
然るに、被告に対する右保険医指定の取消が、本件室の使用に関する条件中の「経営者としての資格を失つたときは、本件室使用許可も当然無効となる」という条項の「経営者としての資格を失つたとき」に該当するかどうかに関して主張の対立を見ているので、この点につき判断を加える。
証人大熊治一、宮崎正己、蒲生幸時、花田光の各証言、成立に争のない甲第二号証の一、二、第三号証の二、右蒲生の証言によつてその成立は真正と認むべき甲第一号証の一乃至三、第三号証の一を綜合すれば、本件室は霞ケ関合同庁舎第二号館(旧称人事院ビルデイング)内の一室であつて、人事院において管理する行政財産、しかも所謂公用財産に属するものと考えられ、これにつき被告が前認定の如き使用権限を取得するに至つたのは、被告が当時人事院ビルデイング内に公務員を対象とし、その健康保険による医療の便宜を図る趣旨で、「健康保険綜合診療所」を開設することを申請し、管理権者(人事院事務総局管理局長)の特許行為に基いてその使用権を設定されたことによるものであること、本件室は所謂公用財産ではあるが、その使用を被告に許しても、被告が公務員に対する健康保険診療を行うことによつて公務員の福祉増進に役立つと判断されたためであること、当時、被告は保険医であつて、自らの責任において前記趣旨を実行することが期待できる状況にあり、さればこそ原告としては右許可を与え、一方被告もこのことを意識していた(被告は本件使用許可申請に際し、自己が保険医であることをとくに明らかにしている)ものと推測され、結局被告の保険医たる資格は、本件室の使用許可に関し当事者間に重要なものとして十分了解されていたこと、及び前記保険医指定取消の当時、被告自身において、本件室の使用権限を失つたと考え、この旨を人事院係官にも表明したことがあること、をそれぞれ認むべきである。以上の認定に反する被告本人訊問の結果は措信できない。而して、保険医でなくとも診療所の開設ないし経営はでき、保険医を使用することによつて保険診療を行いえないわけではなく、また綜合診療所を実施する以上、各専門医を必要とするであろうけれども、保険診療を強調して特別に使用許可を得た診療所において、自ら保険医たる資格を有せずして保険給付を主眼とする診療を継続することは、当事者の予測に反し、頗る異常の事態に属するといわねばならない。従つて、以上の点を考慮すれば、本件室の使用許可を当然無効とする経営者としての資格とは、診療所における運営ないし財産関係の主体たりうる地位において、自らも保険診療を行いうる資格を指すとして理解するのを相当とする。
果してそうだとすると、被告は保険医の指定を取り消され、従つてまた経営者としての資格を失つた昭和二十九年九月一日を以てその権限を喪失したといわねばならない。被告は先ず本件室は普通財産であると主張するが、本件室の現状が診療所として使用されていることから、その公物性が失われたと考え、また原告が診療所を開設することを許したことを以て公用廃止と考えることは、いずれもいささか早計であろう。更に、被告は本件室の使用関係は賃貸借関係であると主張するが、公用財産につき私法上の契約がなされうるとしても、本件室の使用関係は前認定の通り特許に基く使用権設定によるものであり、このことは前記場所使用許可の条件に徴してみただけでも看取できるところである。なお、被告が本件室の使用に際し、その主張の如き出捐をなしたことは被告本人訊問の結果から知ることができるが、しかしその出捐が本件室の使用料或いは賃貸借に伴う賃料に相当する性質のものでないことも、右訊問の結果から十分推察しうる。しかも、これらの点をいかように解しようと、本件室の使用に関する条件、とくに「経営者としての資格を失つたときは、本件室使用許可も当然無効となる」という定めの存したことについては被告も認めるところであるから、前述の結論には相違を来さない。なお、被告本人尋問の結果によつて認められる被告の保険医指定取消期間が六カ月にすぎず、その間本件室において健康保険診療が中絶されなかつたことも、右結論を左右するものではない。
かようにして、被告は昭和二十九年九月一日より後、本件室の使用権を失つたものであるところ、その後も使用を継続し、このため原告に対し使用料相当の損害を与えていることになり、その損害として原告の請求する額は、証人花田光の証言並びにこれによつて真正に成立したといいうる甲第五号証に照せば、正当なものと認むべきである。よつて、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用の上、主文の通り判決する。
(裁判官 真田禎一 西塚静子 荻原太郎)